大晦日

来年はどんな事が出来るだろうと思いながら今年が過ぎて行く。
今年は初めての個展を開けてとても嬉しかった。これからは毎年1回くらいのペースで展示をしてゆきたい。個展を開いてみて、展示というのは写真を撮ることとはまた全然別のことなのだと思い、空間を創る事なのだなと思い、それがとても楽しかった。早く次の展示をしたい。どんな事が出来るのか、早く試してみたい。個展の搬入直前まで、展示することが楽しみでありながらも無闇と不安で怖くて仕方なかったのだけれど、今は日取りも決まっていない次の展示がただ待ち遠しい。あんな風にもできるだろう、こんな風にしたらどんな風になるだろうと毎日そんな事ばかり考えて写真を撮っている。
来年も健康で働けて、写真が撮れたら本当に嬉しい。ごくつまらないが、そう思う。
写真によって私は軽くなる。私は私でありながら私が関係なくなる。自分にも分からない知らない手に負えないところへ、写真と行きたい。夢を見るではなく、醒めたまま、冷徹なまま。
そして今年も沢山の人にお世話になりました。感謝しています。

決着

常日頃さぼり気味の掃除を、年末ということもあり、一気に片付けようと試みる。毎年の事だけれど、沢山の不要なものを溜め込んでいることに気付く。今年も沢山のものを捨てる事にした。それでも毎年物が増えてしまう。煩悩が多いからそう言う事になるのだろうと思う。必死になって本を片付けて、一部処分しようとも決意したのに、その結果本棚に余裕が出来るとその余裕を早く本で埋めたくなってしまう、というのは正に煩悩まみれという感じだ。

手前

思い切って日記を変えることにしました。
これからは榎本千賀子の署名で書きます。そして、榎本千賀子は写真家です。
とはいえ、書く事はそんなに変わらないでしょう。

日曜日、バイトを終わらせてからオペラシティーにシュテファン・バルケンホール展を見に行って来た。最初の風景や建物を彫ったレリーフがもっている違和によって引き込まれてしまった。木彫で浅く付けられた凹凸の中に、その凹凸とぶつかりながら掘り出されている風景や建築のパースペクティブが表されていて、遠くからではそれは分からない位なのだけれど、近くに依るとその奥行きの重なりが刻一刻と入れ替わる様に翻弄されてしまう。そうやって翻弄されることが私は楽しくて仕方なかった。それを見ていて、レリーフに掘り出された風景の中で、一番手前にあるのがいつも空で、しかもそれはレリーフ上の他の箇所の荒々しい堀跡を知らないつるりと平坦な表をさらしている、というのに気付いた。いつも遠く手が届かないはずの空は、レリーフ上では空は一番手前にあり一番私の近くにある。けれどそれはやはり手をつけられていない。その錯綜が甘美だ。

味覚

今日は朝から晩まで仕事をする。朝の九時からバイトをかけもちして12時間も働くと、いい加減嫌になる。クリスマス、なんてものは今の私には関係ない。でも家に帰ったら冷えたチキンが置いてあって、それを暖め返して食べているとそれがとても悲しい。むしろそんなチキンなど無い方が良かったと思う。
とはいえ、そんな時にも良い事はあって、昼間私の外出中に、友達が手作りのスコーンを置いて行ってくれていた。バイト先でもらった出来合いのクリスマスケーキは冷蔵庫にしまって、自分でおいしい紅茶を入れて、それを食べた。それはとてもおいしかったし、食べていて悲しくならなかった。

熊野

高速バスのチケットが取れて、今年の正月は5年ぶり位に父の実家である熊野の方へ行く事にした。石の浜辺や、山の緑の連なりや、石垣に囲われた家々や、荒く静かな海や、早口の言葉のイントネーションや、夜に聞こえてくる波音や、圧倒的な星空や、そんなものを私は憶えている。今回、私は何を憶えて帰ってくるだろう。あの辺りは私にはちょっと怖い。普段私が暮らしている世界とはあまりに違い、海や山や石や空やが慣れない私には苦しいほど饒舌で、近いような気がする。もちろんそうやって自然の側に在る事は喜びでもあるのだけれど、それに増して不安が起こる。なんだか刺激が強すぎる。毎年のように帰省していた小学生の夏の夜、目が覚めて離れの手洗いに行って聞こえて来た波音や、フクロウの鳴く音や、降りかかってくる星空に私は、根深く影響されている。それを憶えていて、私は怖い。

注射

今年はインフルエンザの予防注射を受けた。大人になってからは初めて。注射してしばらくすると体がだるくなった。免疫を作っているのだから当然なのだけれど、子供の時にはそれを全然感じなかったので、ちょっと驚く。でも自分の体が動いている、と分かるのが少し楽しい。
最近、終了間近の展示を回って歩いている。東京国立近代美術館のドイツ写真を日曜日に、そして今日は横浜美術館李禹煥を見て来た。人の作品を見ると本当に勉強になる。いろんな事を考える。特に横浜美術館では、空間について考えさせられた。李禹煥の作品は印刷で見たいとは思わなかったので図録ではなくて、その刺激的な言葉を読むために本を買った。ここの所お金がないというのに散財。でもきっと良い散財だろう。
段々ここに何を書いていいか分からなくなって来たので、一旦店じまいしようかと考えている。誰ともつかない居るのか居ないのか分からない人に向けて海に手紙を流す様に書いているのが楽しかったけれど、最近は誰と分かる人も読んでいるのを知りつつ同じ事をしていて、それはもうやめようかと思う。

寝言

私はいびきも多分かくけれど、それよりなにより問題なのは寝言がうるさい事らしい。家族にはこれまでに、就寝中に歌ったり、怒ったり、泣いたり、悲鳴を上げたりしている所を何度も見られており、気味悪がられている。そう言う日は大抵目が覚めても疲れていたり、自分でびっくりして夜中に目が覚めたりするのだけど、何分寝ている時にすることなので、それで分かったからといってどうにもコントロールが出来ないし、そもそも寝言を言っていた事に気付かない事もある。
それでも、自宅で自室で寝ているときは良いのだ。だけれども、旅行だとか、そういう時には本当に心配になる。私の寝言はかなり明瞭に言葉である場合も多いらしいので、もし友達の前でとんでもない酷い事や恥ずかしいことを喋っていたらどうしたらいいだろうと思う。それに、昼間興奮していると寝言が出やすくなる様なので、旅行は寝言の出やすい状況と思われるのだ。それでもこれまで、幸いにして心配した事態は起こらずに済んで来た。
けれど今回の旅行で、とうとう寝言が友達に聞かれてしまったらしい。それも連夜。寝言というか、就寝中にうなされて唸っていたらしい。友達はびっくりしていた。
あー。そういう事が一回あると次からの旅行等が心配になる。どなたか寝言を言わないで済む、良い方法をご存知ないですか?