暴発

昨日の夜、家族がテレビを見ているリビングに半分寝ぼけて降りて行ったところ、そこでやっていたドラマが気に食わなくて、文句を言いまくったら家族の顰蹙をかってしまった。
ドラマはちゃんとみたわけではなく、5分かそこらちらと見ただけなのだが、その5分間で「泣け!」「泣け!」という進行であることが丸出しで、それが昨日はとてつもなく気に障った。不治の病、皆それぞれに優しいがすれ違う登場人物達、小さくかわいい子供、そういう道具立てで感情を駆り立てるやり方や、そうやって駆り立てられた感情にどっぷりと浸かる事が腹立たしくて仕方なかった。泣けと言われて泣くのが気持ちいいのか?臆面もなく泣ける状況を作られてそれに沿って泣くことばかり求めるなんて、不健康なことだ。一方向にしか感情が動かせないようなそういう状況を作ってそれの通り動くなんて自由がない、そういう行き止まりに見ている人を追い込むなんて卑怯だ。そんな様な事を多分もっと汚い言葉で、もっともっとそれこそ感情的に多分あちこち支離滅裂にまくしたてた。
母親、弟は私たちはそれが楽しいのだから文句をつけるな、というような意味の事を言っていた気がする。それの何処が悪いのよ、とも。
もっともだ。それはきっともっともなことなのだ。
だけれど、だけれど、そうじゃないんだ。
時々家族がとてつもなく遠い。私はこの人達と生まれてからずっと一緒に居るけれど、時々全然家族と話が通じない。きっと家族は昨日の私を寝ぼけて起きてきて機嫌が悪くて妙な屁理屈をこねて文句ばかり言って、困った奴だと思ったろう。だけれど昨日言った事は寝ぼけていたからという理由だけで言ったわけではない。
そして一番嫌なのは、意見が違うことではない。理解されないことでもない。一番嫌なのは、私が本気で話した事を、時々家族が私の気分的な問題だと思っていることなのだ。機嫌が悪いから、疲れているから、早く寝なさい、あんまり興奮しちゃだめよ、気を楽にしなさいね、って私が真剣な時にばかりどうして言うんだ。私は真剣だし、私は正気なのに、多分家族はそう思っていないんだ。