思出

部屋の片付けをしていて、たまたま見つけた中学生くらいの時聴いていたMDや読んでいた本やなんやらによって、色んな事を思い出す。いや、思い出すというより、むしろ気分は中学3年生。当時の情けなさをもう一度。
友達なんだろうと思っていた人に連日無視されて陰でくすくす笑われたり、休み時間に無駄話をしたり体育でキャッチボールしたりする相手が見つからなかったり、別に仲良くもなんとも無かった不登校生徒に嫌がらせしてなかったという理由だけで仲が良いと思われて毎日先生の手先としてその子の家に行かされたり、不良にゴミを投げつけられたり、散々だったあの頃。本格的な身体的いじめに遭ったりした訳じゃないけれど、明らかにクラスじゃひとりぼっちで、毎日不良が暴れたり、いつもは無関係なのに女子の仲良しグループが諍いを起こす度にとばっちりを食っては嫌な思いをし、学校には居場所なんか無いどころか、教室は針のむしろだったのに学校をサボることも出来ない意気地なしで、そんな友達ならいらねぇよ!ひとりで結構!と言いつつその実開き直ることも出来なくて、出口なし、世の中と自分とを呪ってばかりいた。山田花子の漫画ほとんどそのままな惨めで情けなく非常に暗い日々。

定本神の悪フザケ

定本神の悪フザケ

とろくて、鈍くて、そのくせ頭でっかちで、自分勝手で人に合わせない高慢な振る舞いばっかりしていたんだから自業自得だ。クラスの皆の事を腹の底じゃ馬鹿にしていたし、先生も無能の集団だと思っていた。それなのに明らかに惨めな自分にいつも自意識をぐちゃぐちゃにされていて、家に帰っては布団に顔を押し付けて叫んで、ノートに読めない位の汚い筆圧の高い字で恨みつらみを書き付けていた。
今ならもっと上手く立ち回れるし、そんなにひねくれなくたってやっていけるし、そんなに真面目に真剣にならなくっていいじゃない、といくらでも言える。力を抜いてもっと適当にやり過ごせ。思い出すと笑ってしまうような事もいっぱいあるし。学校行くの嫌だ、というのを言うのが屈辱で(なんでそれを言うと負けだとか思っちゃうのかな?)、朝スープを頭から被ってみせたこと(熱くないのは知ってたんだろう、卑怯者!)、に関しては、どうしてスープを被る事と学校に行かないことが繋がったのか、今となっては全く理解出来ない不条理ギャグだ。
でもあの頃は真剣だったんだよな。毎日、それしか私にはなかったんだ。そして絶対に今の散々な状況が変わる事はないのだと思い込んでさらに落ち込んでいたんだ。
でも、それは間違いだと今の私は笑う。中学生の私が読んだって絶対納得しないし、希望もたせるような事言ってと腹を立てるだろうが、嫌なことばかりじゃないし、状況は変わる。そして暗さだと思い込んでいる場所から、とびきりの明るさを汲むことだって本当は可能なんだろう。中学生の私が目の前に居てこぶしを握りしめてしかめ面をしていたら、とりあえずいきなり鼻の穴にでも指を突っ込んでびっくりさせてやりたい。話はそれからだ。