喧噪

久しぶりに学校へ行ったら、新入生歓迎の行事で浮かれきった学生の集団に出くわす。浮ついて賑やかな彼らの間をくぐり抜けるようにして歩くのはあまり気分のよいものではない。周囲と私との温度差がひしひしと伝わる。外部との温度差が激しいと、私はそこに居るのに居ないような、そこに居る事を否定されているような気がしてくる。息苦しい。もちろん、誰かが私の事を否定した訳でも危害を加えたわけでもないのだけれど。
学校でちょこちょこと作業をする。最近、細かい作業をするときにはハッピーコーラというコーラ味のグミをよく食べる。今日もずーっと囓りながら作業。終わってから凄い量を食べていた事が分かりびっくりする。タバコなど吸わないのだけれど、ハッピーコーラは薬みたいな変な味だし、妙な色だしで、これはこれで体に悪い気がする。でもハッピーコーラのその体に悪そうな味と色が私は好き。ちなみにハッピーコーラなどのドイツのグミは、柔らかい食べ物が多い彼国で子供の顎を強化する為の健康食品として作られた…らしいです(不正確情報)。
帰宅してからこの前古本で買った桑原甲子雄の『夢の町』をぱらぱらめくっていたら雨が降ってきた。それにしても『夢の街』いいなー。人が生きて暮らしているという事を、平明に写すことで丸ごと受けとめてゆく写真のような気がする。こういう写真については何も言えない。ただため息をついてみとれるばかり。

以前、対象が本当は違っても良かったけれど、でももうこの対象でなければ駄目なんだ、というのは愛だ、という事を友達が言っていた。写真はそれこそ愛なのだと思う。写される対象はどれでも良いはずなのだ。だけれど、写ってしまえばもうそれだけしかない。愛などというと嘘臭いし話が抽象的になってわかりづらいけれど、最近何となくそれは愛だと実感してしまう。で、私はその愛を糧に、ほとんどそれだけを頼りに生きているんだとも思う。唐突な話。