次の日

昨日は終電まで、とある縁で知り合った人達と飲んでいて、帰ってすぐ爆睡。そのため日記書けず。
私はかなりお酒が弱いので、ビール一杯で随分いい気持ちになれる経済的な体質をしている。それ故に昨日も結局ビールと酎ハイ一杯ずつしか飲んでいないのに随分と酔っぱらっていた。ここのところ体調がすぐれないので、余計にアルコールがまわるのだ、という事なのかもしれないけれど。
しかしアルコールが入ると余計な事をする。昨日も、関わる必要もない人に、たまたま席がとなりというだけで関わり、しかもけんかを売っているも同然の話をしてしまった。嫌いなら嫌いで放っておけばよい話なのに。なんだか相手が誠実でない腹立たしい話ばかりしているので、けんか腰で反論してしまった。後で人にびっくりされていたことが判明して落ち込む落ち込む…。まあ、びっくりした人達が私を温厚な人間だと思っていてくれたからだ、と都合よく解釈しておこう。しかし自己嫌悪。なんでこんなに攻撃的かね。
そういえば、昨日は初めて大貫妙子に似てると言われました。どんな顔だったっけー?と今日探してみてみましたが、別に似てはいないと思った。


閑話休題
最近、怖い話が書きたいと思っている。少し前に見た夢が、とてつもなく怖くて、しかし少々出来過ぎであるくらい美しくてメモしているのだが、そういうものが書きたい。
少し前の夢:
私はうずたかく積まれた重厚な革張りの装丁をした本に囲まれている。本は皆、小さなアルファベットの金字で題名を背表紙に刻む。それらの本は、私の大切な人々で、家族や、友人達だということを、私はなぜか知っており、確信している。私の周りの人々は、ひとり残らず本になってしまった。私は途方に暮れて、とてつもない寂寥感に襲われる。私はひとり取り残されて、ただ本に囲まれている。
せめて、そのかつて人であった本を、私は読もうとする。膝に乗せると痛いほどの重量の本を、私は手にとって開く。そこには、ぎっしりと文字が並んでいる。
私は、そこに記された文字を読もうとする。
鮮明に、文字が見える。それは日本語であり、私の慣れ親しんだ言語であった。私はそこに、平仮名や、漢字や、カタカナをみとめた。それはそれは明瞭に、私はその文字をよみとった。
しかし、私がその文字を、並べてある通りに読もうとすると、文は結び目がするするとほどけ、読むことができなかった。それは、本の文字が、でたらめに並べられているからではなかった。読めなかったけれど、私にはその文字列がある文章を形作っていることが明瞭に見えた。だが、私はその文章を、さっぱり読むことが出来なかった。私は「あ」も「い」も「う」も「え」も「お」も判別できただろう。だが、私はそれをつなげる事が出来なかった。私は、意味をなさなない文字列を、凝視し、掴めない文章を追った。
かつて人々であった本だけに囲まれて、しかし私はその本を読むことすらもできないのだった。私は、だれも居らず、読めない本に囲まれて、読めない文章を辿りながら、涙を流す。
私は、もう、たったひとりだ。