外出

久々に学校へ。レポートを1つ提出してくるなどする。
自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)
帰り道の古本屋に立ち寄ったところ、業田良家の『自虐の詩』を見つけて、無闇と読みたくなってしまい、買ってくる。一度読んだことがあったのですが、また泣いてしまった。自分でも情けないと思うくらいこのマンガには泣きます。
後半に出てくる主人公、幸江の中学時代の友人、熊本さんがとても格好良くて、ほれぼれします。虐げられても、虐げられても、屈辱を味わっても、苦労をしても、背筋を伸ばして、覚めた目をして堂々と駒を立ち回る熊本さんはあのマンガに出てくる誰よりも格好良い。熊本さんにはヒゲがあるし、一週間風呂に入らなくて臭いし、脇毛剃らずに水泳するし、と熊本さんは美しくない人とされますが、いや、美醜でなく格好良いですよ!
熊本さんがどれくらい格好良いかといえば、どんなに非道い仕打ちを受けても、格好良くて優しい人なのだと幸江が大切にするダメ亭主のイサオと同じくらいに格好よい。私は幸江の主張するイサオの格好よさを、幸江夫婦の隣に住むおばちゃん同様感じ取れません。だけれども多分幸江が格好良いと言っている、その程度は熊本さんに私が感じる孤高の格好良さによって理解する。熊本さんとイサオは同じ形の目で描かれて、幸江と愛をもって関係する。読み進む内に二人は重なり、最初の頃には不可解にしか思えず、その不可解さによって笑っていたかもしれないイサオから離れない幸江を、私はもはや不可解なものとは思えない。私は熊本さんに惹かれることによって半ば幸江になる。そして、私は泣くのだと思う。最後、幸江がまだ見ぬ母に向かって書く手紙は私が書いた手紙なのであり、熊本さんと20年来の再会を果たして泣くのは私なのだ。