テレビ

今日は家の横の通りでテレビの撮影をやっていた。特に興味があるわけではないけれど、ご迷惑かけますとかいうビラを貰ったので知っている。結構人が見に来たりもしていた様子。とはいえ私はコピーした文献を読んだりなんだりしていただけで、電子辞書の電池買いに行く以外外に出ていないので詳細は分からず。電池買いに行った時にテレビ局の車が走り去るのだけ見ました。

反写真論 (フォト・リーブル)
昨日はバルトの事を書いたけれど、「写真について書く事」については倉石詩乃の『反写真論』も気になる。この本もずっと写真について書く事を巡る解決しない問題の周囲を回り続けている。特に冒頭の「写真使用法」パートは真正面からこの問題を扱っている。
写真の「ように」書く事を写生に求め、ありのままを書き写そうとする。しかし言葉の遅滞を認めそれを否定し、しかしその遅滞を肯定的に捉えようとし、だがそれもまた詮無き事と思う。こうした記述が延々と続く。
そうした問題は結局解決していないし、するつもりもないのだろう。だがそれを切々と問う様はとても誠実で、とても美しい。
そのうえ、この本は問題を解決せず問題としたままに、だが個々の写真に「ついて」書く。その書きようが見たくて、私は何度もこの本をめくっている。言葉は濃密に詰められ、しかもつねに冒頭の禅問答へ陥る危険を排除せず、そうした危険と隣り合わせでそこにある。その姿は時に息苦しくも思えるほどなのだけれど、しかし禅問答から抜け出さずに禅問答を越えてゆく、そうした希望に見える。

私も、出来るならばそのように写真を引き受けてゆく文章が書きたい。