古典

今日は仕事帰りに職場の人達とお食事。
話は雅楽から古典文学へと流れる。私は雅楽をほとんど知らないし、古典は『伊勢物語』と『今昔物語』を好きで読むくらいなのだけれど。でもそれでも今日はとても楽しい時間を過ごした。しかしそれらの一節や歌を少しだけ暗唱したら、若いのに偉いねえと褒められたりし、それしか知らないのになあ、と何とも言えない気分になりつつ。
ところで、その席で父親の実家(三重県の最南端)での様々な行事と、それに際して私が神様と呼ばれてきたものや、人の魂と呼ばれてきたものが、しっかりとそこに在る事を感じたのだ、というような事を話した。その話をその場に居た人達は面白がってくれて、それは良いのだけれど、その行事やそこでの暮らしを写真に撮ったら良いと言っていた。私はああいうものは写真になどならない方が良い、絶対に写真になどそういうものは撮らない方が良い、と思うのだけれどどうなんだろう。いや分からない。考えは変わるかもしれないのだけれど、今は絶対にそれは撮れないよ、と思う。私には撮れない。父親の実家の人達は写真を撮れば喜ぶことも知っている。だけれど私はそれを写真に撮るなんていうことが今の私には無礼でしかありえないことが分かっていて、そんな無礼は働けないんだ。