慎重

無責任なことばは慎むべきで、真剣に研ぎすまされた言葉を目指すべきなのだと思っている。だけれども、それは簡単には出来ない事で、いつも鈍い言葉を軽卒に吐き出している。
願わくば、言葉がそのままうたになるような、軽やかで研ぎすまされた、まっすぐな書き物を。


写真「 」言葉、その間には何が入るだろう。写真と言葉、写真で言葉、写真に言葉…写真と言葉は多様に関係を結ぶ。そのなかで、言葉は一体何を生み出せるか。言葉は一体何になりうるか。何を書きうるか。写真に向かい合い、言葉が紡がれる。それはこうした可能性のなかに開かれた創造的な営みである。
そして重要なのは、言葉が生み出されたそのときに、それら多様な可能性は可能性として生まれ落ちるということである。可能性はすでにそこにあったのではない。一語いちごが選ばれ、言葉が選ばれていくというそのときに、可能性は生まれている。選ばれるものがひとつもなければ、可能性は可能性にすらなれない。可能性自体がそこで作り出されている。写真「 」言葉という関係は、可能性をすらまずそこで生み出すような、そのような創造を行おうとしている。
そしてその創造を実行するのは、ただ書くという行為によってのみ。写真「 」言葉の間に様々な関係を実現させつつ、写真「 」言葉の可能性を可能性として生み出しつつ、言葉を現に紡ぎだすということ。
とにかく、書いてみる事しかないのだ。