歌声

ばたばたを色々片付ける。睡眠不足で肌が荒れている。今日はゆっくり寝ることにする。でもどうしてだろう、疲れている筈なのにあんまり眠くないのだな。
眠くなるまで古いロックをまた聴いたりしている。自分が生まれる前のドイツのロック。今日はファウストのソー・ファーを聴いている。1972年の作品。3曲目、割り込むみたいに入りこんできたギターが暴れて曲を乗っ取り、意味不明の歌詞が叫ばれるところが一番好き。聴いていると元気がでる気がします。でもこんなの聴いていたら眠くはならないだろうね…選曲ミスだ。

ソー・ファー(紙ジャケット仕様)

ソー・ファー(紙ジャケット仕様)


そういえば日曜日に世田谷美術館のウナセラ・デイ・トーキョーに行ってきた事を書こうと思って忘れていた。もう会期も終了していますが…自分の為に書いておきます。
展覧会全体としての評価はちょっと微妙というか、展示会場のデザインがトタンみたいな波打った板や段ボールといったものを多用したノスタルジックな方角を向きすぎているのが気になってしまった。写真家の組み合わせ方も大御所ばかりで一同にそれが見られるのはうれしいのだけれど、この組み合わせで何かを見せようという、展示の意思を感じられませんでした。
都市の在り方の変遷と共に、写真の在り方そのものも変遷している、その移り変わり方がよりビビッドに感じられる展示の方法が同じ内容でももっと工夫できたのではないかと思います。例えば今回は写真家ごとにプリントが並べられていたけれど、それをバラして年代ごとに(ひとりの写真家の作品も年代ごとにまとめて)並べてみて、東京がその時代どのような変化を迎えていたのかの解説を加えるとか、はたまたそういう時間軸での区分ではなく東京の地理的な区分から写真を区分してみて、地域と写真との関係を考察してみるとかしてみると、新しい発見があるかもしれないなと思ったり。写真そのものが十分面白いので、もちろんそれを見ているだけで随分楽しめるのだけれど、割と色々な所で目にする機会の多い作品たちで、せっかく美術館という場所で見るのだから、もうひとひねりの新しい提示のしかたでそれを見てみたかった。美術館というのは作品の単なる箱ではなく、それを1つのやり方で組織・提示する機関なのだと思う。作品を作品として見せる、という事が重要なのはもちろんだけれど、それをふまえた上でもっと自らの態度表明をしてほしい。
作品の組織、提示の仕方も、展示会場のノスタルジックなデザイン位こってほしい、という事です。
でも、展示されていた個別の作品はとても良かったです。桑原甲子雄の写真は特に充実していてよかった。人が生きてゆくこととはどういうことなのかを思い知らされるようで、桑原甲子雄の写真を見ていると私は切なくなって泣きたくなる。