迷子

今日は練馬の辺りを散歩した。特に目的もなくぶらぶらと。結構高低差のある地域で、歩いていて立体感があり、飽きなかった。足の裏で坂道の傾きを捕らえたり、歩いて行くに従って視点が高くなったり低くなったりを繰り返す。道もいりくんでいて、行き止まりなどが沢山あり、私は迷子にもなりかけた。しかし、そういった場所はとてもスリリングで面白い。1つ角を曲がると予想もしない光景が現れる。高揚と落胆と混乱とが歩くにつれて移り変わる。
基本的には住人でなければ通らないだろう住宅地のまっただ中。住宅地は人が住むところではあるのだけれど、日中はさっぱり人気が無くて静かで、ただ家々が並んでいる。光がさんさんと降りしきる中、そのような場所を歩いているとなんだかまるで現実感がない。
壁で囲われ、閉ざされた窓に囲まれ、家々からの拒絶を感じる。私は部外者で、他所者で、余計者だ。住宅地の中といえど、私の歩く場所は公道なのだが、それでも私はそこにいる事を、家々によって認められていない。それは少し恐く、私は緊張する。そのなかで、住人のいない家々の静寂と、穏やかな日光が、ただならぬものに思えてくる。家々の存在感が異様に強くなり、私がそれに気圧される。気付けば私はもうおらず、他人ももうおらず、そういったもの無しにこの家並みが続くだけで、私は2度とここから帰れないのではないか、という気がしてくる。それはもっと具体的にはどういった事なのか、とは説明が上手くできないのだけれど。ただ、私などというものが消え去り、崩れ去るのではないか、という予感が強い。勿論恐ろしいのだけれど、その予感は甘美な魅力をたたえている。私などもういらない。私はもう、この家並みの中に溶けてなくなって構わない、と時々思う。私がこの家々に押しつぶされて死んでゆき、それも知らずに人々が家々の中で幸せに暮らせば良いと思う。
随分街は春めいていて、桜じゃないだろうけれど、そんなような薄い桃色の花がいろいろな所で咲いていた。