昔話

今日は法事に行ってきた。雪こそ降らなかったものの、寒くて辟易した。
私の母方の家は東京では珍しく8代くらいに渡って同じところに住み続けている。法事では親や、祖父母や、親戚達が自分達の昔話や、その上の世代達に聞いた昔話を楽しそうに語っていた。それは結構面白いものであったりする。
私が今現在移り変わる様を刻々と見ている東京の姿が、その昔話の中でも刻々と移り変わってゆく。見知った東京などあるのだろうか?いつもいつも移り変わり、その中に翻弄されてゆくような東京の姿を、見定めることなどできるのだろうか?昔話のなかで、いつも移り変わることが話題にされるように、東京は移り変わることそのものや、もはやそこには無いものを思い出す時にしか、定まった姿を見せはしないのではあるまいか?私はそのような事を話を聞きながら思った。