銀座

今日ではないのだが。銀座のギャラリー小柳でダイアン・アーバスの写真を見てきた。
アーバスの写真は好きというよりは、気になる。何を言ってよいのか私にはわからないので。
今回も、やっぱりわからなかった。
今日は、なんとか今日を乗り切った。


写真的記憶 (写真叢書)
西井一夫の『写真的記憶』を読む。
痛々しい文章。誠実であろうとしていることがこちらに響くのだが、それが自らを追いやってゆくような誠実さである。写真についての文章が、それを誠実に正直に書こうとして周りと衝突する、その様として現れる。写真についての文章が、しかし写真から離れた跳躍をし、しかもその跳躍を時に嘆く。その最中で、文章はひび割れて、満身創痍の姿である。誠実さとは、このように悲壮なものでなくして、この文章にはあり得なかったのだろうか。
最後に、この本が慌ただしく出版された旨が書いてあるが、そのせいか見受けられる誤植やなにやらが、さらに苦しい。ここにある文章は、それだけでずたずたにされているようであるのに、どうしてさらに活字レベルでまで引き裂かれなければならないのか。それはレベルの違う単なる虐待に過ぎないではないか。