昔話

暗室を終えて外へ出ると、足下で何かががさがさいう。猫かと思うが猫にしては随分大きい。よく見るとそれは狸だった。このあたりには狸が居るよ、というのは人から聞いていたのだけれど、まさかこんなに間近で対面する事になろうとは思わなかった。狸はあと二歩も進めば触れそうな距離で、こちらを見ながらなにかくちゃくちゃ食べていた。私がしゃがんでおいでおいでをすると、逃げもせずこちらへ少し近づくようなそぶりを見せた。狸の事を教えてくれた人によれば、この辺りの狸は人からいろいろと餌をもらっているので随分と人なつこいということだったが、本当にその通りだった。だけれども、私の方から狸へと近づくと、狸は驚いた様にして逃げてしまった。けれどもまだそれほど遠くはない草むらから私の事をうかがっていた。あまり脅かしては可哀想だし、もう随分と遅い時間で、私ももう帰ろうと狸を後に残して駅へ向かった。
狸と別れて駅へ向かう途中、鞄に入れていたはずの定期入れが無い事に気付いた。ほんの数分歩いた所だろうか。急いで引き返してみると、一度も出した覚えのない定期入れが暗室に置いたままになっていた。あの狸に化かされたんじゃないかと思いたくもなるが、ただ私がうっかりしていたのだろう。
引き返した時には狸はもういなかった。あの狸、くちゃくちゃと食べていたのは一体なんだったのだろう。