楽器

私の前に、引き出しの3段付いたワゴンのようなものが置いてある。引き出しを開けてみると、どの段にも四角いお皿や、お茶碗や、コップや、数学の授業で使う立体模型のようなものなどが、さまざまに4つから5つ位か、入っている。食器にはなみなみと水が注がれている。私はその引き出しの中の物を、手に取ってみたり、振ってみたり、水に手を差し入れてみたりする。すると、なぜかどの物も、スネアドラムの音を立てる。お皿にたたえられている水に息を吹きかけてさざ波だたせる度に、円錐が転がる度に、物をこすったり叩いたりするた度に、他のどんな音もせずに、スネアドラムの音がする。
ちょっと前に、こんな夢を見た。スネアドラムの音が格別好きな訳でも、前日にスネアドラムの音を沢山聞いた訳でもない。夢の中のスネアドラムの音が、私はこんなにスネアドラムの音を憶えていたのか!とびっくりするくらいリアルだった。

目撃

全然ここに何も書いていなかった間、色んなものを目にしていたので、それについて。

二階建ての家を支柱にして、その家屋の屋根を追い越して伸びたサボテン。多分今迄見たサボテンの内で一番長いサボテンだと思う。種類は分からず。太さはいつも目にする鉢植えのサボテンと変わらないので、随分とひょろひょろしていた。
電車の中に迷い込んだ雀。朝、ホームで電車を待っていると、その待っている電車が遅れているとのアナウンスがあった。しばらくすると私が待っている所へ大勢の駅員がやってきて、「駆除しろって言われてもなあ」「二匹もだって」等々の会話を始める。話の内容に皆目見当がつかないと思っていると、電車がやって来た。電車に乗ると、ドア付近に立っていたおばさんがつり革の辺りを指差してみせる。その先には雀がとまっていて、ぴいぴい鳴いていた。しかし車内は割と混んでいて、雀は少しも落ち着いていない。駅員が捕まえるのを諦め、電車が走り出すと、通勤客の頭上を雀はぴいぴいぴいぴい鳴きながら、ぐるぐる飛んだ。
決行前の強盗。家から50メートル位の郵便局に行ってお金を下ろして帰って来た直後、家の前でサイレンがけたたましい。さらにヘリコプターの音までしはじめた。火事かとおもって表を見ると、パトカーが何台も止まっている。祖父が何事かと聞きに行く。すると、私が今しがた出て来たばかりの郵便局に強盗が入って逃げたという。実は郵便局へ行った時に郵便局の前の地面に座り込んで辺りを伺っている不審な男を見ていた。帽子を被りサングラスをして、青っぽい服を着ていた、やせ形の30代位の男。何故こんな所に座ってきょろきょろしているのだろう?と思ったけれど、気にせずそのすぐ横を通っていた。後から聞いた話によると、その男が強盗だったらしい。

他にも色々あったのだろうけれど、この3つが強烈なので、後の事はもう忘れたみたいだ。際立った輪郭のある事しか思い出せない。

遺影

アルバイト先で、亡くなった方の写真の修正を手がける事が時折ある。大抵は、独りで写った良い写真、気に入った写真が無くて、と旅行や家族の集まりで他の人と写り、故人は小さく写っているが笑顔で、遺族にすれば自然な写真というものを人は持ってくる。それを私はデジタル画像に変えて、フォトショップで隣の人達や背景に写る文物を消して、薄いグレーやブルーのグラデーションだったりする背景と取り替える。時には故人に紋付の着物を着せることもあるし、お隣の人が親しげに肩にかけた手を取り去ったり、本人が手にしていたグラスやタバコを消したりする。
そうやって写真から、様々なものを消し去り、グレーのバックに人を据えていると、人が死ぬというのはそうやって他の人々や文物や、その他本当に様々に多彩な物たちから引きはがされるということなのだろうな、と思ったりする。死んだ人は、グレーやブルーのグラデーションのような、そういう抽象的な次元にしかいられないのだろう。というよりも、生きている者が、故人をそういう抽象的な次元に置く事で死んだ事を納得しているのかもしれない。旅行や家族の集まりの折に撮られた写真には、まだ生きている私たちと地続きの故人が写っている。それをそのまま遺影として使うと、故人は死んで、もういないのだ、ということがさらに耐え難いものになってしまうのかもしれない。
もう何人ものひとから、そうやって私は様々なものを取り去って来たけれど、それらは残された遺族や友人達が故人がもういないということに向き合う際に、役に立っていたのだろうか?

日課

春の暖かさに気が抜けているのか、フィルムだけ持って、カメラを持たずに写真を撮りに行ってしまったりする。
今年前半は自らの至らなさを反省して(というよりもほとんどそれを呪って)ばかりでろくに自分の事にも手がつかずに停滞していたような気がする。それではいけないと思い、ここのところ自分で自分を律する為に毎日の日課をつくり、それを一日いちにちこなしている。こういう風に過ごすのは、高校三年生、受験生だった頃以来だ。そのころもそうだったけれど、そうやって決めた日課をこなすのは、始める前が何となく億劫であるのだが、始めてしまうとそのリズムが心地よく、しかも心が穏やかになる気がする。

虚空

強風の日 あった事を少し
1 人気の無い住宅街(住宅街は人気が無いのが常なのだ。家々の中に人が居るとしても)を写真を撮っていたら、50代後半と思われるおじさんが、遠くから「何故だ!」と叫びながら近づいて来た。明らかに攻撃性を帯びた声で、しかも話が通じる様子でもなさそうな、ちょっと「危ない」雰囲気であり、状況からすると私に投げかけられた言葉のようだった。私は出来るだけ後ろを見ないようにして、出来るだけおじさんをあからさまに避けて刺激したりしない様にして、けれども早足でおじさんから知らないふりをして遠ざかろうとした。しばらくおじさんは私の後ろを叫びながらついてきた。やはり私に文句があるんだろうか、話が通じそうに無い、と思ったが、それは間違いでもし私が写真を撮っていた事への抗議なんだろうか。けれども包丁でも振り回されたら大変だ、穏やかに話が出来る雰囲気ではない。とにかく人通りのあるところへ、と思いながら早足で進むと、急におじさんの声が遠くなった。振り返ってみると、おじさんは私が歩いて来た通りの角を私が来たのとは別の方向へ曲がって行くのだった。おそるおそるおじさんの姿を四つ角から見ると、おじさんは真っすぐ前を向いたまま、その誰もいない虚空に向かって、攻撃的に叫んでいるのだった。
2 急に、目の前が開けて、数十メートル先は、低い崖になって落ち込んでいるらしかった。崖の下から私の目線の高さ迄伸びた桜の枝が、強風に煽られてしなり、花弁が吹き飛んで行った。それらの前景の半分を、いままさに崩される手前の、あちらこちら掘り返され、茶色い土を露出し、切り株だらけである小山、もうほとんど大きな土塊であるそれ、が遮っていた。どこか、あの世じみていた。

逃走

バイト先で、デジカメプリントしたいのですが…わからないので教えてください…と来店した男性のメディアを説明しつつ開いたら、エロ画像がみっしり入っていて、「あ」と思った瞬間、その男の人が「間違えました!」と慌てふためき、メディアを無理矢理リーダーから引き抜いて逃げる様に帰って行った。お互い不幸な事故。故意にエロ画像を持ってくる人にはうんざりだが、こういう場合の方が見てはいけないものを見てしまった、という後味の悪さが残ってしまう。
今日は風が冷たかった。薄着のまま写真を撮りに行ってしまい、寒くて辟易する。手をポケットに突っ込んで歩いちゃいけない、と小学生の頃に散々言われたけれど、寒いとどうしても背中が丸み、手はポケットに行ってしまう。段々と減り気味だった一回の撮影量を、最近また増やしている。予想出来たり、思い通りになることではない写真が、撮りたい。判断つきかねる写真が見たい。